過去の日記公開します(#^^#)個人Facebookより抜粋
学校に行けなくなった時のこと、長男編(2014/4/23Facebookより)
過去の事書きます。
長いですが、頑張って読んでください(^ ^)
私自身不安で押し潰されそうだった時、同じように体に出てしまったお子さんの体験談や情報を強く求めていました。
我が家も解決したわけじゃありませんけど、時間をかけて一歩一歩確実に前進しています。
長男は4年生、長女は2年生から学校に行くのをやめ、完全不登校になりました。
正確には、もっともっと前から学校に行けなくなりました。
長男の異変に気付いたのは年長組の時、卒園前でした。
嘔吐が止まらなくなりました。
初めはお腹の風邪だろうと思っていましたが、数日経っても良くならず、精神的な所からくる吐き気だとすぐにわかりました。
元々緊張しやすいタイプなので、新しい環境に移る不安からだろうと思い、休み休み様子を見ました。
入学後は落ち着いたように見えましたが、2年生になってまた嘔吐を繰り返すようになりました。
病院で検査もしましたが、異常なし。
休んでも元気にならない。学校に行けば、完璧主義の性格ゆえ途中で逃げ出すこともできない。吐き気に耐え、帰ってくればグッタリ…
宿題もやらなければいけない。元々良くない頭で、集中できずに泣きながら何時間もかけて宿題をやる毎日。
好きなテレビやゲームをやる時間がない。日に日に弱っていくりょうやを見て、「これはマズイ」と思いながら、私は腹をくくる覚悟ができなかった。
長男はそれでも「学校に行きたくない」とは言いませんでした。
先生いわく学校ではいたって普通、友達とも仲良くやっている、授業態度もまあまあ良くて、挙手発言もしっかりしていたらしい。
でも、それはかなり無理をして自分を抑え、120パーセントの力で普通の子を演じてきたんだと気がつきました。
4年生の春から、再スタートを切り登校し始めましたが、吐き気は相変わらず。
頑張っているから行かせたけど、行けなくなったら、もうそこで終わりにしようと決めていました。
9月、限界。
「もう、学校やめよう」と、私から言いました。
主人は激怒(当然)、かなりやり合いました(^^;;
(今は認めてくれています)
でも私は子供の精神を絶対に守りたかった。
学校が原因ではありません。
先生方は、私の思いを受け入れて下さり、誠実な対応をして下さいました。
いじめも私が見てる限りなかったと思います。
学校に行く以前の問題、心が小学生並みに育ってないから、小学校前にいったん戻ってみようと考えたのが、不登校を認めたきっかけです。
長女の事(2014/12/30Facebookより)
…を全然書いてなかったので、少し書かせて下さい。これで過去の事はお終いにします。
始めにお詫びしときます。ダラダラ書きで、恐ろしく長くなってしまいました。
長女は長男ほど壮絶ではなかったので、楽と言えば楽だったかもしれません。
熱を出したりもせず、割と元気に過ごしていたし、言葉も2歳になってすぐ会話が出来る様になり、
(他の2人は4歳過ぎても言葉を発しなかった)言う事もよくわかるので、
「2人目は手がかからなくて楽だ」と思っていました。やや落ち着きがない所を除いては…。
それでも当時は長男に手がかかり過ぎて、長女の事はほとんどスルーでした。
幼稚園に入ったら一変、緊張が強く、2年間慣れることができず、
それでも休む事はほとんどなく、耐えてきたのでしょう。わがまま、過度の甘え、母子分離不安etc…長い長い赤ちゃん返りが始まりました。
小学校に入学し、多分運動会の頃までは順調に見えましたが、時々頭痛を訴え、休む事が増えてきました。そのうちに自分から「学校行かないから‼︎」と言って、逃げ回るようになりました。
なんとか外に連れ出しても、学校まで行けずに自宅前の公園で過ごす日々。
担任の先生は「学校に連れて来れば慣れるから、無理にでも連れて来て下さい」と仰ったけど、
その頃は長男もすでに限界に近く、嘔吐ばかり。
「長女もか…⁉︎」と愕然となりました。
鬼の形相で追いかけ回す私、必死に逃げ回り、部屋の隅でパニックに震える長女。
その様子を見て怯えて泣き叫ぶ末娘。
お母さんて、子供にとっては最後の砦のような存在でなきゃいけないのに、安らぎからは程遠い状態で…。
「これは違うだろ⁉︎」と思った途端、限界を感じてしまって。
私は、児童精神科医でその道のパイオニアでいらっしゃる佐々木正美先生の著書を愛読しています。
幼稚園での講演は都合がつかず、撮影して頂いたビデオを見たりしていて、凄く共感できたために、ここで無理をさせるのは良くないと思いましたが、なかなか決心がつきませんでした。
でも、そんな私の背中を押して下さったのは、先程の担任の先生でした。
誤解を避ける為に書きますが、先生の立場で言えば「なんとかして学校へ」だったのでしょうが、
選択肢は2つ、
①このまま何とか少しでも来させて慣れさせる。でもいずれまた同じ壁に突き当たる事も有り得る。
②完全に休ませて、本人の自発的復帰を待つ。先生のご経験によると、早くて3年〜10年以上。
「お母さん覚悟を決めたら、絶対にブレないで下さい。途中で気が変わってしまったら取り返しのつかない事になるから。
でも克服したら、本当に強い人になりますよ。」
立場を超えて私達の為に、あえて背中を押して下さったのだと信じています。
完全不登校を認めて早4年。今はスペースに週2回、ようやく楽しくなってきたみたいです。
4月からは月1回学校にも足を運び、担任の先生、学校カウンセラーの先生、保健室の先生とも少しだけお話して帰る事も出来る様になりました。
当時の担任の先生とも良くお会いしますが、
「よかったね。ここまでよく頑張ったね」と声をかけて下さいます。
毎日一杯一杯で、子供の事を何もわかっていなかった事に気付き、一人一人じっくり見つめる時間ができたことで、それぞれの個性に気付く事ができたし、今まで知らずにきた色々な世界が見えるようになって…。
これでよかったんだな…と純粋に思える今日この頃。
何年か後にきっと動きだす、ビジョンが私には見えるのです。
その時まで、ちょっと人とは違った育て方育ち方で、これからも頑張っていきます。
長文を最後まで読んで下さってありがとうございました
2014年1月31日メモ(2014/1/31Facebookより)
長男の変化…
今日は中学校の日だった。いつもはあまり行くかどうか聞く事はしないが
(早くから起きてて、私が幼稚園とスペースから帰った時に支度ができていれば行く、朝からグズグズしてる時は行かない)
なんとなく思いたって「今日はどうする?」と尋ねてみたら、
「今日は行くつもり」と返事が!
前は、「う〜ん」「行かなきゃ駄目なんでしょ?」「…(無言)」だったのに。
「行かなきゃ」と「行くつもり」は気持ちが明らかに違う。
ほんの少しばかり慣れてきたのかな。
学年主任の先生は言葉を引き出すのがとても上手で、先日出かけた幕張での事や、買ったおもちゃの事など、色々話しかけて下さり、
少しやりとりができた。
それより一番驚いたのは、学校の勉強をやってみようかと言われて、返事をした事。
まずは長男が負担になりにくい漢字から。
カウンセラーの先生が大丈夫かと心配して下さったけど、
無理なら止めればいいや、くらいの大きな気持ちでやらせてみる。
中学校の教材に初めて手をつける。
今まで取り組んでいたものが終わって、次のドリルを探していた所だったので、ちょうどよかった。
帰ってから勉強の時間に漢字の教材をスタート。
1日1ページ。勉強の時間が終わっても最後まで頑張り今日の分をクリア。
来週先生に丸つけをしてもらう事になっている。
「来週は4日も出かける」と言いながらも、受け止めたようだ。
とりあえず一週間、多分なんとかなる。
3月7日メモ(2014/3/7Facebookより)
校長面談無事終わりました(*^o^*)
長男、解熱後もずっとオエオエ言っていたけど、頑張って行ったよ。
何言われるだろうと緊張したけど、
頂いたのは激励の言葉でした。
人生を100メートル走に例えて、ゴールに到達するのが早い人、普通の人、遅い人、
足が悪くて周りよりかなりゆっくりの人と、、
いろいろいるけど、それでいいじゃないですか。
回り道や道草食いながらだっていずれみんなそれぞれゴールに辿り着くのだからいいんだと、仰ってました。
長男君はすごく頑張ってるんだから、休み休みでもそれでいいんだと。
知らないおじさんと会うというチャレンジもできたし(^^)
2年生に進級する選択をした事はとても意味のある事だと…。
長男の体調を考慮して短めに終わったけど、
恐いイメージだった校長先生の印象は、
意外とよかったみたいで。
無理なら無理で、それでも別によかったけど、
逃げてたらいつまでも嫌な場面で逃げ続けなければならないし、
進級するにあたってのけじめみたいなものだから、
無事通過できてホッとしました。
普通なら大した事ないちっぽけな事なんですけどね〜。
因みに今日は長女の誕生日。
告知その後…(2014/6/26Facebookより)
告知後は…特に変わったとこ無し。
人生諦めてる所があるし、「障がい」が付くか否かはどうでもいい話みたい。
考えてみたら、辛い痛みもしんどさも何でも黙って受けとめてきた長男が、そんな事でうろたえるはずなかった。
センターで長男の特性について、レジュメ(という程でもないか。理解しやすく書かれた文面)を見ながらあっさりと説明を受け、
帰宅してからもう一度、今度は父親を交え長男に分かりやすい言葉で噛み砕いて説明した。
そして、これからはマイナス部分(耳で聞いて理解するのが難しい、感覚が鋭すぎて日常生活が困難、今しか見えない、状況の変化に対応できにくい等…)は人にフォローを求めたり、道具を上手に利用したり工夫して、頑張る必要ないからなるべく楽に乗り切っていけるようになろう、
プラス部分(目から情報を取り入れ理解する、人の話を素直に聞く、苦手な事でも好きなゲームの為なら頑張れる等他にもあるよ…)は、いっぱい頑張ってもっともっと伸ばしたら、
その強みを活かして誰かの役にたてるようになるからね…
と話をした。
いつになく真剣に聞いてくれたので嬉しかった。
長男は何かに熱中したり楽しんで何かをしていた経験はなく、得意を見つけるには新しく何かを始めるしかない。
しかしその新しい事、未知な事にとりかかるのがとても苦手。しかも自分から進んで取り組んだ事でないと記憶にも残らない。
まだ痛いしダルいし何もやる気がおきないと言うし、長男が目覚めるのはまだまだ先になりそうだ。
それまでゆっくり休ませてあげよう。
疲れ切って大人になるのではなく、元気な姿で大人になって、いつか長男の強みが生きるフィールドで人の役に立てる人になってほしいと密かに願っている。
やっと今スタートライン(2014/10/22Facebookより)
長男が、来週から担任の先生にタイピングを見て頂く事になりました。
先日児相に行き、判定を受けたので、その結果を元に個別カリキュラムを組んで頂く事になっていました。
それで手始めに、今6・7組で取り組んでいるという、コナンのタイピングソフトをいじってみることになった訳で、、。
不登校の子供は精神が病んでいる状態なので、(決して楽したいとか、ただ行きたくない理由があってズル休みをしている訳ではありません。深刻になると体も病んでしまいます)カウンセラーの先生やこども医療の主治医、他の専門の先生方のアドバイスを受けながら、じれったくなるくらい慎重に慎重に前に進んでいく訳ですが、
今年の担任の先生とは、まだ緊張で目も見れない状態です。でもやっと最近、無反応から微妙にだけども反応するくらいには慣れてきたようです。
その反応の仕方が変で、実情を理解をされてないと凄く失礼になってしまいそうで、私は頭が下がりっぱなしなのだけど、初めは戸惑っておられた先生も、そのおかしな返事代わりの行動を笑って受け止めて下さって、、
ずっと相談室で漫画に目をやりながら私と先生方とのやりとりを聞いてるだけから
→→返事はする
→→質問に対する受け答えをしてなんとなく会話ができてるけど、何かをしてみようという提案は拒否
→→漢字のドリルの取り組み、登校の日に丸付けしてもらう
→→今回の提案にやっと首を縦に振り、支援級の先生とも連携してのリスタートとなりました。やっと道が見えてきた感じです。
もちろん無理せず、ゆっくりゆっくりペースで。少し慣れてきたら支援級の授業に合流させてもらい、学校を一日増やすつもりでいます。
2年生の秋も過ぎてしまったし、これを機に先生との関係が少しずつ深まってくれるといいなぁ。
(担任の先生、恐い事もないし、若くてカッコいいし、感じ悪くないんだけど、長男は緊張度10MAXらしいですよ、、私は逆に0か1、、緊張感まるでなし・・・?)
徒歩10分足らずの学校に、一人で行ってもらうようになるのが差し当たり目標です。
バスや地下鉄に乗って、上大岡のスペースまで自力で行けるようになったのだから、この調子でなんとかなるよね!!
無理せず、頑張ってほしいです。。
2015年1月6日(2015/1/6Facebookより)
雨風が強くなってきた。
歩いて5分の道のりが遠く感じたよ、、
今日は卒業文集(作文は書いたけど、クラスページの小さい記事の方)が書けなくて、
学校へ行って、ちょっと長い時間粘ってきました。
結局書けずに持って帰ってきたんたけどね。
願い事、とか将来の事、とか見えないものをイメージするの、一番苦手なのよねぇ。
特にない、今のままがいい、わからない、いいと思うんだけどね〜。
人の見て同じ事書いたっていいと思うし、
書けないなら書けないでも。
それが今の長女だから。
半年しかまともに行ってないし、学校に思い入れもない。
完全に私の満足の為のアルバム作り。
長男の時もそうだったけど、長女も、不登校でも小学校所属の6年間があった事を残したい。
本人達の為にはならないとは思うけど。
卒業シーズン(2015/2/28Facebookより)
とうとう2月も終わり、卒園卒業まであと半月を残すところとなった。
末娘の入学準備、我が家は2人も悪い見本がいるので、できる限り不安を取り除いてスムーズに小学校生活に移行できるようにと、慣らし見学に通ったり、
また謝恩会の出し物の練習など(係さん役員さん方ご苦労様です)、忙しくも楽しい最近の私。
幼稚園生活は私にとって、何かと慌ただしくも密度が濃く、何だかんだ言っても一番楽しい日々だった。
3人目の末娘で本当に卒園になるのが感慨深く、ちょっぴり淋しい気もする。
しかしそれ以上に長女の小学校生活卒業は、本人は自覚はあまりないようだけれど、私にはかなり重要な節目なのである。
はっきり言っていい思い出はほとんどない。
朝、家の中で逃げ回るあいかを追いかけ回し、部屋の隅っこでうずくまる姿だったりとか、
玄関の外に連れ出しても逃げて家に帰ってしまったり、
外に出れても学校まで行けずに、家の前の公園で過ごしたり、、
毎日学校に電話したり、連絡帳届けたりしてたなぁ、、。
まともに学校に行ったのは最初の半年だけ。
その後上のやり取りを一年程続け、2年生の2学期からは行かせる事自体を完全にやめた。
頭痛が酷くなり約二年間の引きこもり(長男と共に)。それに付き添う形で私も強制的監禁状態になり精神状態は最悪。不安を打ち消すように、本を読みあさったり、ネットサーフィンをして過ごした。
買い物途中などでたまに誰かと出会ったり、私が出れないからと訪ねてくれたりすると、その時だけは不安が開放されて楽になった。
ハートフルフレンド、のお姉さんに1年半来ていただいた後、今のハートフルスペースに通うようになり早2年以上、、。
5年生からは、全く行かないでいた学校に、月1で夕方、私と一緒に足を運ぶようになり、
6年生の今年は月2回程度、スペースの後学校、というスケジュールを真面目にこなし、漢字と算数のドリルを先生に丸付けしてもらうといった一年を過ごしてきた。
(最後の方は、算数だけテストの問題にも取り組み、次の登校日に丸付けしてもらっていたよ)
正直まだ思い出すだけで涙でるし、色々あったけど良い思い出、、という所までは到達していない。
でもお陰で、私の脳内引き出しは増え、
また自分の弱い部分や影の部分と向き合わざるを得ず、諦め、認め、受容できた事で、
多分大抵の事では動じる事ないんじゃないか、、と思う位自信がついた。
学校には行かなかったけど、小学生時代を一所懸命に生きた事には変わりない。
そう思える今となっては、長女の六年間は私のための学びの六年間だったと思えてならない。
中学もなるべくなら家で勉強したいというあいかの思いを、私は尊重したい。
本人にとっては私の経験からの助言より、自分の心の声の方が正しいと言いきれるし、間違ったと思ったなら、その都度軌道修正していけばいいと思うからだ。
大人の考えに無理に合わせても、壊れてしまっては一番良くないし、それより自分の事をよく分かって、できる事できない事をきちんと人に伝えられたり、苦手な部分について助けを求めたり、自分の得意な部分で人の為に何ができるか考えたりできるようになる事の方が大事だと思うからだ。
中学は長男と同じく週一でスタートし、スペースで楽しい思い出をたくさん作ってほしい。
楽しい思い出がたくさん増えて、やりたいことが見えてきたら必然的に
どこかの学校に行くんだろうし、そこで学んだ事を生かす日がいつか来る。その時の為に自分の力で土台を作っていく時期に入ったのだと、今しみじみ思う。